国鉄・加古川線

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'83-5-22 加古川
キハ35+キハ20

'84-6-7 粟生
キハ20+キハ36

'84-6-7 粟生
キハ36+キハ20

'84-6-7 加古川
キハ20+キハ36、マニ36

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'83-5-22 加古川
キハ30+キハ20

'83-5-22 加古川
キハ20+キハ35

'84-6-7 粟生
キハ20、キハ20

'84-6-7 粟生
キハ36+キハ30

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'84-6-7 粟生
キハ30+キハ36

'84-6-7 北条線・北条町
キハ30+キハ36

'76-11-14 鍛冶屋線・鍛冶屋
キハユニ15 3(元キハ44000→キハ09)

'74-5-25 谷川
キハ20+キハ25



 
 国鉄末期の頃の加古川線を紹介する。加古川線は、兵庫県南部に
 位置する東播磨の中心地加古川から北へ向かい、幾つかの支線を
 分岐しながら福知山線と連絡する谷川へと至る非電化線であった。
 
 厄神では三木線、粟生では北条線と神戸電鉄・粟生線に連絡し、
 更には野村(現 西脇市駅)で鍛冶屋線に接続していた。殆どの列車
 が鍛冶屋線の西脇、或いは鍛冶屋まで直通し、終点の谷川へ行く
 には野村にて乗り換えを必要としていた。

 この当時は、主としてタラコ色のキハ20系+キハ35系の2連が運転
 されており、加古川からそのまま高砂線に乗り入れる運用もあった。
 粟生では上下列車が交換すると同時に北条線や粟生線とも連絡
 して、ホームはひと時の賑わいを見せていた。

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'84-6-7 粟生 キハ20+キハ36